2019年度 西洋史部会発表要旨 |
1、前370年~前360年代におけるトラキア系オドリュサイ王コテュスの動向 広島商船高等専門学校 小河 浩 古代トラキア世界の考古学的研究は、従来の未開で好戦的なトラキア人という見方を否定しつつある。その中で前4世紀のオドリュサイ王コテュスは、エーゲ海北岸での勢力拡張のために武力に頼る拡張主義者と見なされてきた。彼は既に前370年代にはエーゲ海北岸のアテナイの同盟国を攻めて拡張政策を開始し、前360年代後半にはケルソネソスなどエーゲ海北岸の要地をめぐってアテナイと全面的に争った、とされてきた。しかし、実際には前370年代にコテュスがアテナイの同盟国に対して攻撃をかけたという証拠には乏しい。また、彼は前360年代後半には比較的規模の大きいトラキア人首長の反乱に直面し、アテナイに対して支援を求めている。しかしながら、当時のアテナイはこれに十分答えることがなく、このことがコテュスとアテナイが対立する契機となっていることを明らかにしたい。 |
2、古代ローマの疫病と公衆衛生─ウィトルウィウス『建築書』を中心に─ 大阪大学 堤 亮介 気候や空気が健康を左右するという観念は、ヒポクラテス『空気・水・場所』をはじめ、古代ギリシア・ローマの著述に広く見ることができる。一方、この観点から都市の衛生状態を管理しようとする、ある種の「公衆衛生」に関する記述は多くない。こうした中で、前1世紀の建築叙述家ウィトルウィウスは、「都市の健康性」を理論的に考察している点で注目に値する。しかしながら、彼が論じる「健康/不健康」の意味や、それを公的な問題として論じる文脈は、必ずしも明確ではない。本報告では、「健康性」と対比される「疫病」を手掛かりに、健康や病が公的な問題として扱われている事例を検討する。リウィウスらの歴史叙述においては、疫病は神の怒りの徴として理解され、公的な儀礼等の対応が要求される事象であった。ウィトルウィウスはこうした疫病を自然的問題として捉え、対応策を論じた嚆矢として理解できるのである。 |
3、元首政期下モエシア属州におけるローマ軍の社会的影響について 広島大学 ゲイル・エドワード ローマ帝国の研究史において、ローマ軍は長らく戦術分析や組織構造の解明など狭義の軍事史的な文脈において研究されてきた。しかし、20世紀後半からは軍隊と社会の関係性を重視する「新たな軍事史」の流れを受け、ローマ軍研究も軍隊の存在が駐屯属州に対してどのような社会的経済的影響を与えたかを分析する方向に転じている。この流れにおいても、研究は長らく西欧、あるいはパピルス史料が豊富なエジプトといった一部分に偏っており、全軍の3分の1が配備されていたドナウ川一帯に対するこのアプローチの研究は近年ようやく始まったばかりである。今報告では、ドナウ川下流域に相当する元首政期の下モエシア属州に着目し、ローマ軍の存在が同属州の都市化や貨幣経済の浸透、居住地の形成にどのような影響を及ぼしたかを、退役軍人の社会的位置を含めて考察する。 |
4、13世紀マリョルカ征服と『ラメンブランサ』の生成 広島大学 久納 早智 13世紀イベリア半島南部諸地域では、征服地の分配内容を網羅的かつ系統的にまとめた一般に「分配記録」と呼ばれる目録系史料が作成・編纂されている。本報告で対象とするマリョルカでは、少なくとも現存するかぎり最も早期に編纂された『マリョルカ分配記録』に加えて、ルサリョ伯ヌノ・サンスに分与された財産の網羅的記録『ラメンブランサ』が伝来しており、かねて征服前後の社会を再構成するための第一級の史料として幅広く用いられてきた。 だが、13世紀の目録系史料の発展をふまえて、これらの史料そのものの生成過程および当時の機能について具体的かつ包括的に扱った研究は、およそ皆無に等しい。それゆえ、本報告では『ラメンブランサ』をテクストの体裁、構成・配列、内容にそくして生成論的に考察し、『マリョルカ分配記録』との接続を図りながら、征服後マリョルカの目録系史料に内在する当時の文書作成技法の一端を明らかにしたい。 |
5、中世後期イングランドにおける非国王のフォレスト ─湖水地方・ウィンダミアを例に─ お茶の水女子大学 加藤 はるか 現在ではいわゆる「森林」を意味するforestは、中世イングランドでは「国王、あるいは貴族らによる鹿、猪などの独占的な狩猟権が行使された場所」を意味した。この「フォレスト」は長年、国王が狩猟権を持つ「国王のフォレストroyal forest」のみを指すとされていたが、近年は貴族らが狩猟権を持つ「非国王のフォレストprivate forest」についてもフォレストと分類されるようになった。しかしその事例研究はほとんどなく、その実態には不明な点が多い。またフォレストは必ずしも林地である必要はないが、非林地のフォレストについても事例研究はほとんどない。 本報告では、中世後期にイングランド北西部のムーア地域、ウィンダミア・マナに位置した非国王のフォレストを例に、ムーアにある非国王のフォレストの実態の一例を明らかにすると共に、イングランド北西部に多数存在した非国王のフォレストの存在意義を検討する。 |
6、近世スイス・シャフハウゼンにおけるアラーハイリゲン修道院の解散(1524年)について:宗教改革前史をめぐる一考察 慶應義塾大学 野々瀬 浩司 近世のシャフハウゼンは、比較的民主的な政治制度を有するツンフト体制都市であり、政治的に独立した自由都市としてスイス盟約者団に所属し、領邦権力として周辺農村を支配していた。それに対して帝国自由なアラーハイリゲン修道院は、シャフハウゼンの旧都市領主であり、当時市内に存在していた強力な宗教勢力として、都市の自由と自治と敵対し、郊外に多数の封建的な領主権を保持していた。シャフハウゼンで正式に宗教改革が導入されたのは1529年9月のことであったが、その5年前にアラーハイリゲン修道院が解散し、Propsteiに移行するという出来事が発生した。本報告では、これにはどのような背景があったのか、そしてこの事件が、シャフハウゼンの宗教改革の進展の中で、どのように位置づけられるのかについて実証的に考察する。 |
7、第一次世界大戦とポーランド国家のための医療─ウッチ市からみる─ 日本学術振興会特別研究員PD 福元 健之 本報告は、第一次世界大戦期のロシア領ポーランド繊維業都市ウッチ市に焦点を当て、ポーランド国家のための医療が構築される過程を再構成する。当該時期に初めて都市自治に関わることになった医師たちは、まずは秩序の再建を優先し、そのためにナショナルな政治に関与を深めた。都市評議会の選挙をめぐっては、イディッシュ語に固執する行為が秩序の回復を阻む利己的な行動であるかのように捉える言説が影響力を増し、また1917年に開催された衛生学大会においては、新しいポーランド国家のための議論が積み重ねられた。ウッチの医師たちはこの流れに沿って医療体制を構築したのであり、彼らが担った医療委員会は、不足する物資を効率的に配分する使命を全うするためという目的を掲げて、ユダヤ・ナショナリズムの立場に立つ医師には市立病院でのポストを与えず、またユダヤ人患者にはポーランド文化への同化を強制するような制度を設計したのである。 |
8、フランスにおけるアーキビスト養成の現在 九州大学 岡崎 敦 フランスは、世界で初めて近代的公文書管理行政を確立した国とみなされてきた。市民への情報公開のための国家的文書管理および閲覧サービス機関の設置、議会におけるアーカイブズ管理立法の制定、そして専門的アーキビスト養成機関の創設などの諸点は、公文書管理体制の整備という点で、今日でも高く評価されるメルクマールとなっている。しかしながら、20世紀末、情報技術や国民国家のあり方全般において大きな変容が進行するなか、公文書、ひいてはアーカイブズ管理のミッションと実践に関して、フランスでも根本的な変革のときを迎えた。特に重要なのは、フランスが同時期直面してきた大きな社会変動と、この問題がリンクしたこと、つまり、アーキビスト専門職の高等教育での養成システムの変容との関係である。この報告では、19世紀以後のフランスにおけるアーキビスト養成の歴史をたどった上で、20世紀末以降生じている大きな変容の意味を探りたい。 |